仙台はふるさと ― 2013/06/27 10:54
もう76年も前、僕の生まれて初めての旅は東北本線に乗り、
青函連絡船に揺られて、母が育った室蘭にだった。
1歳にもならなかった僕が母に抱かれて函館埠頭で写っている
写真がある。
武蔵野音楽学校で恋をし結婚した父と母の初めての子供だった。
両親は室蘭で演奏会をし、札幌では日本放送協会で演奏しのだが、
祖父と祖母に初孫を早く見せたい気持ちもあったのだろう。
祖父小野誠と祖母かつは仙台の人。
だが眼医者であった誠さんは第一子である母が3歳の時に室蘭に
移り、全部で9人の子供をもうけ、晩年はまた仙台に戻り、
56歳の若さで亡くなった。
祖母かつは「誠さんはずるい。私を愛して愛して、さっさと
往ってしまった」とよくぼやいていた。
仙台には叔父や叔母がたくさんいたので、僕は子供の時から
仙台には良く行っていた。
いまでは従兄弟たちもたくさんいる。
6月16日にも出かけて演奏もしてきたところだ。
舘野泉(ピアノ)
青函連絡船に揺られて、母が育った室蘭にだった。
1歳にもならなかった僕が母に抱かれて函館埠頭で写っている
写真がある。
武蔵野音楽学校で恋をし結婚した父と母の初めての子供だった。
両親は室蘭で演奏会をし、札幌では日本放送協会で演奏しのだが、
祖父と祖母に初孫を早く見せたい気持ちもあったのだろう。
祖父小野誠と祖母かつは仙台の人。
だが眼医者であった誠さんは第一子である母が3歳の時に室蘭に
移り、全部で9人の子供をもうけ、晩年はまた仙台に戻り、
56歳の若さで亡くなった。
祖母かつは「誠さんはずるい。私を愛して愛して、さっさと
往ってしまった」とよくぼやいていた。
仙台には叔父や叔母がたくさんいたので、僕は子供の時から
仙台には良く行っていた。
いまでは従兄弟たちもたくさんいる。
6月16日にも出かけて演奏もしてきたところだ。
舘野泉(ピアノ)
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